いじめを受けたことがありますか?私はあります。いじめを受けたことはなくても、いじめをしていた、もしくは、いじめを見て見ぬ振りをしていた、いじめを助長していた。思うところがある人は少なく無いと思います
今回は、私が過去に経験した2つのいじめをここに綴っていきます。
今でこそ、振り返って、笑いながら話せたりもしますが、いまだに覚えているし、思い出すといい気分はしないし、当時は本当に辛かったんですよ。
そんな記憶です。
小学校2年生の時・・・
当時の記憶はほとんどありませんが、いじめの記憶は鮮明です。この時は運動も特にやらず、引っ込み思案で、友達も少なく、体も小さいという子でした。
まぁ、格好の的ですかね。
案の定、体の大きい、クラスの一人の男の子 Aくんの標的となりました。
Aくんはとにかくしつこいんですよ。ずっと追いかけてくる。とにかくちょっかいを出してくる。
手がすぐ出る子なので、とにかく危ない。本人はちょっかいのつもりかもですが、体が大きいから、そのちょっかいが遊びですまない。そしてあからさまにこっちを狙う。
階級が上の選手のジャブをずっと受けるみたいな・・・
地獄ですよ。学校に行くのも辛い。教室にもいたくない。さらに学校自体が遠いので、ただでさえ長い通学路がすごく遠く、長く感じる・・・行きも、帰りも・・・。
学校自体も当時はいじめがそれほどフォーカスされず、脱ゆとりが推進されていた時代。指導要領が変わって、総合だったり外国語だったり、教科が増えていく真っ只中。
気づかれず、相談もできず。いじめをひたすら受け続ける毎日・・・
きっかけは父親の衝撃の一言
そんなある日、自宅でついに親に気づかれました。気づかれないようにしていたんです。怒られると思っていたから。ですが、父親に言われました。
「学校でなんかあっただろ」
この言葉で凍り付きましたね。「あ、バレてる」と思いました。これ全部言わんとドヤされると思いました。そこでかなりビビりながら言ってみたんですよ。
「いじめられてる・・・」って。
するとどうでしょう・・・
怒られました。
「なんですぐ言わないんだ!!!怒」
まぁそうなんですけどね。これができないんですよ。
この時(今もですが)いちばん怖いの父親なんですよ。
なるべくマイナスなことは耳に入れたくないんです。
しかし知られてしまい、案の定ドヤされ、また意気消沈。母親は心配して励ましてくれましたが、ここで父親から追い討ちの、そして絶対に忘れない衝撃の一言・・・
「明日やり返してこい」
・・・
・・・
・・・
はぁぁぁあぁぁぁ!?!?!
血の気引きましたね。やられっぱなしの相手にやり返せと?ただ、無理と言える状況じゃないんですね。父親カンカンですから。
・・・
意を決した掃除の時間
さぁ、翌日です。こんなに行きたくない日はありません。これからAくんをぶっ飛ばさないといけません。あれだけやられまくったAくんを、体の大きい、チカラの強い 彼を・・・
しかし、やらないと、世界でいちばん怖い人のお叱りが待っています。これだけは避けたい。
(別に父親はDVとかしないです、いい人です。笑)
行きましたよ、しっかり、学校。いつも通り来るんですよAくんは。なかなか踏ん切りがつかず、相変わらずしつこく、痛いいじめを受けておりました。ですがここで、何か吹っ切れました。
「あれ、こいつ、パパに比べりゃ大したことなくね」
そうなんです。あの恐ろしき父親に比べれば、所詮は同い年の小学生。ここに気づいたんですよ。これで完全に切り替えられたんですね。さあ、ここからは簡単です。先生に怒られないよう、良きタイミングでやり返すだけです。ただ、人をぶん殴った経験がないので、どうすればいいかわかりません。そこで、何か物を持っていても怪しくない時間を選択しました。素手では体格違いすぎて勝てないので。
掃除の時間です。掃除=掃除用具=武器
我ながら完璧です。
運命の掃除の時間。都合よく一階の廊下、さらに教室から遠いという最高の舞台。
全てが整った。私は意を決してやり返しました。
今考えればまぁよくやったなと。ほうきで殴って、転ばせて、水ぶっかけて、ニードロップして。
最終的にはAくんが逃げ出す始末。あれれ、勝てちゃった。
・・・
結局、それ以降いじめは鳴りを潜めました。Aくんに謝ってもらってはいませんが、そこは気にしていません。いじめは止まったので。やり返しが100倍返しくらいになっているので・・・
その後、Aくんは新年度に転校。私もいじめを克服したということで、少しづつ、変わっていきました。
この時の教訓は、「父親がいちばん怖い」・・・です。
長くなりました。もう一つの件は次のブログで。
ばい(^^)
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